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ホッブズーリヴァイアサンの哲学者

 

ホッブズはイギリスの政治哲学者です。

 

リヴァイアサンの哲学者」

と副題にありますが、

哲学者といっても、認識とか現象とかを論じてるわけではなく、彼は純粋な国家理論家です。

17世紀にイングランドで生まれましたが、

この頃のイングランドは国王と議会が激しく対立しており、スコットランドは反乱を起こして内戦が始まるわで、国内が激しく混乱した時期でした。

このあと、ピューリタン革命や名誉革命などのイギリス革命がおこるわけですが、この革命の契機としては「国王と議会の対立」というヨーロッパにしては珍しい性質の革命で、ホッブズはまさにこの二大革命の時代を生き抜いた証人でした。

なぜ珍しいかというと、大陸ヨーロッパというのは絶対君主制が長らく続いていた場所で、国王の権限が絶大で、議会なんてものはないし(あっても形だけ、課税どうする?という話し合い)、王権神授説なんだから国王は絶対でしょ、という統治がずーっと続いていました。

それでフランス革命というのは、またロシア革命もそうですが、国王と民衆の対立というのが革命の原因で、民衆の手に権力を獲得したというストーリーだったわけです。

この点でイギリスの歴史や文化は非常に特異で、そのころはすでにイギリスではもう十分に機能する議会があったし、1215年にはマグナカルタで法を明文化し、「王様より法が上」という権力者を縛るための法が成立していました。まあそのあとも政治的な紆余曲折あったわけですが、

そういう権力者の首を次々に挿げ替えるなどというイタチごっこではなく誰が県局舎になってもいいようにそれを「縛るための法」という発想がイギリスには生まれていたわけです。現代社会における「憲法」というのもこういう背景のもと働いています。

市民に守らせるもんではなく、権力者を縛るための、法。

この、権力者を縛る考えがイギリスでは1200年代に成立して議会が発達してきたのに対して、フランスでは1789年にようやくフランス革命によりフランス憲法というものが制定されました。この文化の違い。

同じヨーロッパでも、この違いです。

 

この理由は地政学的な違いという側面からも説明できますが、まあそれは今は置いておくとして、

ホッブズのイギリスにもう一度目を向けると、そこにおいて権力闘争は主に、君主と議会の対立、という構図でした。そういう対立は、結局何も決まらない、物事が進まない、という事態を生じさせます。お互いに自分の主張を通すために声がデカくなるだけ、強硬姿勢に寄せるだけ、どんどん事態はひどくなるわけです。

こういうピューリタン革命と名誉革命の契機となる時代背景に生きたホッブズは、平和のために政治理論を構築しないといけない強く決意したことでしょう。

 

この二者の対立から出てきたホッブズの問題意識としては、権力、つまり「最終的な」意思決定機関は一つじゃないといけない、というものです。

その絶対権力が、ほかならぬ「リヴァイアサン」だったのです。

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そこから、じゃあ誰が意志決定権を持つのか?、その正当性をどこに置くのか?、権力の暴走を止める装置はどう用意するのか?そういう問いに一つ一つ答えていって「哲学」をくみ上げていったわけですね。

だった誰もが権力を欲していた時代ですから、オレがオレが、になるわけですよ。

しかし、絵に描写してあるとおり、その権力は「国家を保護しなければいけない」という存在意義があるわけです。それがホッブズの強い願い。

 

となると、ホッブズがひねり出したのが「共通権力」という概念で、決定をするには絶大な権力が必要だが、その決定はすべての者に「共通の利益」を追求するためのものじゃないといけない、と整合性を図りました。

これはまさに、革新的です。

これがのちにルソーにも影響を与え「社会契約」という概念を世に広めることとなりましたし、国家が常備軍を持つべきなのか、という今の日本にもダイレクトに関係する課題を打ち立てたのも、このホッブズ先生の共通権力でした。

 

 

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さて、ホッブズのようにこれまでにまったく存在していない新しいものを構築し、ちゃんと形にする、というのはまさに、イノベーション(innovation)じゃないですか。

これまでの世界は、教会の権力が強く、王もそこと結託して「王権神授」と盾にしてい絶対王政を盤石にしていたわけですね。

それをガラッと変革すべく人民が社会と契約を結ぶんだ、そこから共通の権力を作るんだ、というのは発想はそれまでだれもができませんでした。

過去のパラダイムに引っ張られるからですね。

 

こう考えるとイノベーションは、

問題意識に取り組む情熱と、

これまでの膨大なデータや知識と、

それを使ってまったく新しいものを生み出す試行錯誤の量、

こういう努力の賜物ということになります。

 

そういうわけで、歴史や思想には現代にも通づる宝のようなヒントが散りばめられていますので、それを疎かにするとあまり地頭や精神力や物事の視点というものがトレーニングされないんじゃないかな、あまりいい人生を送れないんじゃないかなーと個人的には思っております。

やはり人を育てるのは教養だな、と確信した瞬間でありました。

 

 

おわり。