ドラッカーは経営でもマネジメントでもなく、○○の人。
最近ドラッカーを読み直しました。
日本では経営とかマネジメントで一躍有名になりましたが、漫画のマネジメントが人気を博したのも、そもそも彼の執筆したマネジメントを凡人が実践するのが難しいからで、じゃあ古典の焼き直しをマンガでやろうぜというマーケティングの一環が見事ヒットしたからです。ヒットするのはいつも大衆用へカスタマイズされた本なので。
だからマンガで誰かが解説してくれてはじめて、一般の社長さんや経営者が「使える」形になるんですね。
そしてこれはドラッカーが企業経営の実務家というより、思想家だという側面も表しています。
その著書をザっと並べてみると、「社会」とか「時代」とか「未来」とか、そういう概念のキーワードが多いんですが、これは彼がたかだか会社の経営という範疇にとどまらず、社会というスケールで物事を視ていたことを示しています。
そういう社会的な思想家だったのになぜ「会社の概念」「経営者の条件」「マネジメント」 などを書いたのか。
ゼネラルモーターズの依頼を受け、研究の一環として経営を社外の立場から記したのです。
ゼネラルモーターズとしては、「うちをケーススタディとして使っていいよ、そのかわり経営方針や経営組織を研究したら報告してね、そのレポートもうちが活用するから。」
ということで。
後にこれが、意図せずフォード再建に使われました。
天才とはまさにこういうことで、自身は「ぼくは社会生態学者」と名乗り、他人からは「あいつは未来学者だ」と言われ、パパっと書いた会社経営の本は大ヒットし、マネジメントの本は後世にマンガ化され死後も読み継がれる、
頭のデキが違うとは、このことですね。
そんな彼の社会変動への洞察は鋭くて、マルクス批判の形で出てきた「知識労働者」、同時に全体主義の防波堤になるべく執筆された「断絶の時代」、そういうものが彼の人生を燦然と輝かせています。
ドラッカーが予見したその知識労働の未来は見事に的中して技術者、ビジネスマン、会計士、弁護士、などが人気の職業で金を稼げる職業だった時代を僕らは知っています。
弁護士などは、今は飽和状態でそんな知識では通用しない世の中になってきましたが、そういう知識社会の到来やソ連の崩壊をあの時に予見していたのはまさに圧巻です。
しかし現代のようにYouTuberがカネを稼げて小学生に人気職業なわけですから、「好きなことで生きていく」ってのが、まさに知識と自由を唱えたドラッカーの未来通りじゃないですか。
いまさら労使対立でも、学歴社会でもないわけですから、 働けど働けど楽にならない人や、好きなことで生きていくのに懐疑的な人はぜひ、マネジメントなんて読まず、
などの、ぶ厚い古典を読みましょう。
ドラッカーは未来予測の人です。
おわり。
グローバリゼーションを擁護する ジャグディシュ・バグワティ
みなさんはグローバリゼーション、好きですか?
グローバリゼーションは経済を豊かにするので賛成派と、
格差を広げ、国内の産業を棄損し、内需を奪うので反対だ、
という賛否両論があるでしょう。
これはどちらが正しいということもなく、立場によってほぼほぼ賛成反対が決まります。
ざっくり分けると、経済学者なら賛成、社会学者やナショナリストなら反対、こういう構図です。
さらに国際競争力のない農家や中小企業ももちろん反対です。
さて、私はどちらかというと、やや賛成です。
なぜか?
これはこの本の著者バグワティ教授の論説を見てもらえればわかります。
さて、グローバリゼーションの害を叫んでいる人々はどういう主張をしているのでしょうか?
・グローバル企業が中小企業を駆逐している
・グローバル企業は労働者を不当に酷使している
・グローバル企業は環境を壊している
・グローバリゼーションは貧困を深刻にし、格差を助長している
・グローバリゼーションは文化を侵食している
・グローバリゼーションは民主主義を毀損している
・グローバリゼーションは国内産業を危機にさらす
・・・・
こういう感じです。
ここにデータによる分析と客観的な評価はあるでしょうか?
鄧小平が改革開放政策(グローバル対応)をとった中国が、なぜあんなに経済成長したのでしょうか?海外市場へ進出するユニクロとかスターバックスとかイケアとか、そういう企業はとてつもなく安い賃金で現地の人々を雇っているとでもいうのでしょうか?外資を排除して国内企業だけに活動を許すと一国の経済は成長する(国力に直結する)のでしょうか?文化というものを考えるとき、鎖国したほうが豊かになるでしょうか?開国したほうが豊かになるでしょうか?グローバリゼーションと民主主義の関係はどうなのでしょうか?そこと独裁ー貧困ー格差ー経済力ー人権、というものにどういう因果があるんでしょうか?グローバル企業が著しく環境を破壊している具体的データはあるんですか?
こういう問いに、あなたは答えられるでしょうか?
そこが定かではないなら、まずこういう擁護派の意見に耳を傾けてみてもいいかもしれません。
バグワティさんのいいところは、彼自身は経済自由主義者と言われながらも、グローバルの負の側面も実名や実組織を挙げて暴き出しているところです。
グローバルマンセーな単純な思想家でも、グローバリストの利権を守る御用学者でもありません。
グローバリゼーションには確かに問題がある、だがそれは反グローバリストが煽るような危険ではない、というバランスの取れた見方で世界を見ることがぼくらには必要です。
グローバルをうんぬんする時は、読んだことがないとお話にならない一冊です。
もちろん僕は紙の本で持っています。
内容的にはアメリカ人(インド系)らしく読みやすい文体になっていますし、グローバルマンセーを押しつけるわけでもない。積読するにもこういう本が一冊あるとまさに教養人です笑。
さすがに経済学者、あらゆる国の事例を網羅的に検証し、データをあらゆる角度から検証しまくって450ページもの分厚い本になってますので、その分厚さに怯みそうになりますが、そういう本じゃないと読みごたえがない強者やドMな読者はぜひチャレンジしてみてください。
バランスの取れた見方、というのは印象で語るのではなく、定量的見ることで我々人間にははじめて可能になる能力です。
グローバリストも反グローバリストにもおすすめです。
おわり。
地下経済について知りたいなら、コレ
こんにちは。
今回はちょっと違う感じの本を読んでみました。
これです。
この門倉さん、出版されている著書をみるとエコノミストでありながらどうも専門は地下経済という真黒なドロドロした経済のようです。
もはや今は地下経済なくしてマクロ経済は語れないので、全体をつかむためにサラッと読んでおくのもいいかもしれません。
地下経済と言っても、
・性産業
・脱税
・麻薬
・闇サイト
いろいろです。
具体的な数字を挙げて、どれだけ地下経済でお金がグルグル回っているのか示してくれています。日本はデフレだけど、アングラな世界は昼も夜も24時間うごめいています。
アングラ。
世界中にある暗部です。ほんとに光の当たらない人々の知らない世界です。
ああ、読んでいてゲンナリして来ましたが、これが現実。
だからと言って法律で規制をしていっても、反社のブルーオーシャンになってどんどんアングラなケイザイが肥大するのは歴史が証明しているし、取り締まりを強化してもイタチごっこだったり、多くの血が流れたり、もうアメリカでは刑務所が満タンだったり、どうしようもないんですね。
お花畑にいる人に読ませたい一冊です。
どんな人が著者だよ、元ヤクザみたいな強面な人かな。。と思っていたら、
なんと!
さんまの「ほんまでっか!?TV」に出演している門倉先生ではないですか!?
あのさんまにいつもいつもイジられてオドオド発言するあの門倉先生です!
どんなエコノミストだよ、と思っておりましたが、これは失礼しました。
日々、地下経済についてリサーチしてはそれをせっせと地上に上げてくれている門倉先生です。
おわり。
日本再興戦略 落合陽一 再興の理系者的切り口とは。
ぼくもミーハーなので、この落合陽一さんの本、
前買っておいて今まで積読してましたが今回読みました。
落合陽一、
今、超売れっ子の科学者で大学教員(?肩書き多いぞ)です。
まあ、テレビでもキャラが独特だし、Twitterみててもアイコンを毎週変えてみたり、やることが”変態”です。
彼のテレビ出演は、好き嫌いが分かれるでしょうねー。
あのしゃべり方、格好、周りに対する態度。
ぼく個人はああいう変態なタイプ大好きなんですが、今となってはマイルドヤンキーな環境にいたら、いつのまにか牙を抜かれたセイウチになっておとなしくしていますが、本来はああいう感じが理想的であると思っています。
コミットメントがあって、
ガチに未来に対して意識高い系で、
だから自己主張がしっかりしていて。
きちんと結果を出して、
人々から必要とされて。
売れているのには理由がある。
松陰先生も言っています。
「諸君、狂いたまえ」
彼はテクノロジーを前提に物事や未来の戦略を考えてるので(そんな人なかなかいない)、他の日本復興の本とかとは確実に切り口が違います。またテレビに出ても、例えば朝まで〇テレビとかに出てくる論客とはその射程を大幅に越えています。彼も朝まで~には出演したりしますが、他の出演者とは話してる射程や専門性がかみ合わなくて、他の出演者ぽかーん。
でも今の時代、テクノロジー抜きで語ることは絶対にできません。
なぜなら、これからはAIとかビッグデータとかディープラーニングの時代だからです。世界を変えるようなモノはそこからしか出てこない。
だから彼のような理数系、科学者のアイデアや視点から将来の「日本再興」を語るというのが、どうしても必要でしょう。ただでさえそういう分野から遅れている日本。じゃあ日本は世界とは違う分野で勝負しよう、何でも世界世界とそこに迎合しなくていいじゃないか、という議論は成り立ちません。
「パソコンは使いません!」
と言って総バッシングを喰らったセキュリティ大臣のように、最低限のことは必要なのです。
車が無くて生活できますか?
インターネットがなくてビジネス出来るんですか?
GAFAなどの資産家やタックスヘイブンを批判して、あなたそういうカンパニーの企業活動や製品否定して、人生のクオリティ高まるんですか?
そういうインフラを否定して、何か別の豊かになる"道"があるのかと言ったらそんなものはこの世に存在していません。後発者はイノベーターに追随しながらそのおこぼれをもらうのが精一杯だから、AIとかスパコンから感情的に目を背けるのは、どんどん世界から取り残されてもっと惨めになっていくだけなのです。
そういう落合氏の未来への提言、気になる所ですが、だいたい、理系、テクノロジー、若い、奇抜、態度デカい、という要素がそろえばそりゃホリエモンのような「新自由主義的」な、「旧体制死ね」的な本に仕上がっているかと思えば、案外そうでもなく、大学という場所に在籍しているだけあって、以下のようなところが意外な主張ではありました。
・「欧米」というものはそもそも存在しない。
・西洋に倣うのではなく東洋的に、個人化ではなく脱中心の集団化として
・日本の現状を考えるとロボット活用は有効
・だから日本はアジアへのパワーシフトの始まりになれる
・なぜなら人類は機械と融合するのだから(デジタルネイチャー)、と。
・そして政治と教育はこんな感じの方向で進めてね
ホリエモンのような、地方や高齢者をばっさり切り捨て、日本の文化や価値観をブン投げて新しい何かを打ち立てる、ような内容ではなく、人口減少高齢化だからこそチャンスなんだ、日本のサービスが売れるんだ、と日本の良いとこは残し活用しながら、世界をけん引していけるような成長を目指しましょうよ、それにはまずテクノロジーの分野を政治や教育に浸透させないといけないな、というなんとも希望のあるメッセージでした。
科学的な世界の動向は当然ながら、歴史や教育や地理政治についてもかなり造詣の深い彼。だからこそ単なるテクノロジーオタクのテクノロジー万歳じゃなくて、ちゃんとした戦略が立てれる。
成功者というのは、幅が広い。
ということがよくわかります。
本当に、「学際的」なのですよ。
いろんな本を読まなきゃ、うん。
経営者、メディアアーティスト、大学の教育者・研究者という3つの顔を持っているからこそ、統一的に「再興」を推進できる。
こういう人がこれからどれだけ世に出てくるか、ですね。
売れっ子の彼だからこそ、出版に時間をかけられず突貫工事で執筆した感は否めませんが。日本に希望を持ちたい、テクノロジーの未来を簡潔に知りたい、そんな人は読んでおいて損はないと思います。
おわり。
新・ローマ帝国衰亡史 南川高志
歴史のお勉強をしましたので、紹介します。
ぼくはアメリカでトランプ大統領が出現して、グローバル主義から⇒保護主義へ転換したり、社会のマイノリティに気を使ったり世論を気にして秘密の部隊をつかって中東に入ったりするやり方から、アメリカファーストで言いたいことを言う、世論は気にせず強引にやり、中国との関係も気にしないぜガシガシ攻めるよ文句ある?というこの変化を見ていて、
歴史は繰り返すのだなー
と感じました。
なぜか?
それは帝国や大国に特有な栄枯盛衰のパターンを歴史は教えてくれているカラです。
「パックスアメリカーナの崩壊」
ということを前々から煽り気味に指摘する学者はいましたが(まだまだ崩壊はしないし世界ナンバーワンであることに変わりはないが、歴史を見るとどの覇権国も例外なく終焉を迎えている)、それがどういうプロセスをたどるのかを、興味深くみているところであります。
国家とは何か?
帝国とはどういう志向で動くのか?
成熟とむかえた後、どういう崩壊プロセスをたどるのか?
その現実をより正確にとらえるためには、「歴史のパターン」を知っておかなければなりません。
PaxBritannica
もいいですが、ここはまず、
Pax Romana かな、と。
ローマ帝国物語が好きな人は多くいるでしょうが、この本の「新」ローマ帝国というタイトルの「新」とは何ぞや?と。
何が、新しいのか。
ローマ帝国の崩壊の個別的要因というのはそれこそ研究者たちによってもう無数にあげられていて、いろいろな定説があるようですが、
ようは決定的な、根本的な要因はなにか?ということをぼくは知りたいのですよ。
「新」
……期待
帝国ではないですが、大国であったソ連の場合、連邦が崩壊したときに、その理由をイデオロギーの敗北とか、共産主義は働く意欲を無くす制度でダメだとか、フロイト的に解釈する意見が見られますが、それはそれで重要な点ですが、決定力に欠ける印象です。
ぼくはこの点、マルクスの上部構造ー下部構造を支持していますから、経済財政の破たんがソ連崩壊の根本的な要因と考えています。
つまり、
「広げすぎてからの、内部崩壊」
です。
ソ連は大きな連邦を組みました、それはとても大きな国土と資源を有する大国だったわけですが、その内実はというと経済が火の車だったわけです。
決定的な要因はコレ。
帝国とは、なぜか歴史上の例外なく野心を持って外へ外へ広がるものですが、問題はその後、
広げ過ぎて弱ってきたところ「内部から瓦解していく」ものなんだと。
外へ外へ、というのは一昔前のアメリカの地政学的戦略もそうで、シーパワーを広げて戦略的拠点に先手を打つやり方もそうですし、今の中国のアフリカに投資して借金付けにして土地没収だよとか、中国人を大量に入植させ数の論理で押し切ろうとウイグルやオーストラリアでやってるアレもそうで、業界ではサイレントインベージョンというなんとも物々しいネーミングがされていますが、そういう「外へ外へ」という性質をもつのが、国力があって覇権を狙う国家なんだといえます。
外へ広がった「その後」が重要なわけですから、今となっては、トランプが対外拡張をやめ、保護主義、米軍撤退、を主導しているのは歴史的から学んでいるという見方も、できるにはできます。
外へ出向くと当然中は手薄になりますし、金がかかります。
外へ出ていきたい野望と、中をどうするかのシーソーゲーム。
夢はあるんだけど、現実の生活がまず苦しいんだ、そんな売れないミュージシャンの心境です。
さて、「新」をつけて世に送り出したこの南川さんのローマ帝国衰亡史。
「ローマ帝国衰亡史」はギボンの超古典ですが、ここに「新」をつけるとはだいぶ大風呂敷を広げた感がありますが、
んじゃあいったい何が新しいのかというと、
衰亡とはなんであったか?を、「ローマ人のアイデンティティ喪失」という文脈で語っていることなんですね。
やはり精神分析的ではあるんですが、この議論が重要なのは、ローマ帝国発展において異民族を積極的に登用してそういう出自でも将軍にまでなれたり、一定の基準を満たしたならローマの市民権も与えるなど、「帝国に取り込む」手法をとっていたということです。
帝国を維持するのに外部を帝国に取り込む必要があり、そのための吸引力としてローマ帝国のアイデンティティを掲げる。
そのアイデンティティが喪失したら、当然崩壊へ向かう、というのがこの本の趣旨です。
ローマ帝国とはこの点で、今のアメリカとそっくりで、ようは人種のサラダボウルなのです。
日本のように民族的な統一ができないわけですから、別の何かでサラダボウルに一体化を加えなければ、ゲルマンに対抗できません。
それが市民権でした。
「ローマ市民」が意味するものは、文化や娯楽の先端、法や制度やインフラの完備、自由や富などで、そこからくる優越感です。
「ローマ市民になればこんないいことがあるよ」と喧伝することは、自国にも他国にも意味のあるメッセージになる。
こういう国家を形成するときとても重要になるのが、「オレはこの国の国民だ」という帰属意識です。
ローマ帝国のはるかあとに登場したイギリスやフランスは、まさにここに腐心していて、「特権を与える代わりに国家に忠誠を尽くせ」という方式で国民国家、徴兵制による国民軍の整備をして自国民の結束力を強固にしたのでした。
結局これがヨーロッパの台頭に決定づけたと言っても過言ではない。
その歴史を踏まえると、ローマ帝国がすでに「このパックスロマーナの一市民である」という優越感、アイデンティティを利用したのは本当に先見性があるといえるでしょう。
これこそがローマ帝国を強固なものにしたのでした。
だから重要なのは、「アイデンティティ」
というのが南川さんの説明です。
さてボクが感じるに、帝国の興隆 → 衰退の間に挟まっているのが、「権力闘争」です。
権力闘争というのはいつの時代にも存在するわけですが、そういう闘争が一定の臨界値を超えるとアッという間に、国でも企業でも団体でもあらゆる組織が瓦解していきます。
悲しいかな、人間の歴史というのはいつも、欲まみれの権力闘争、栄枯盛衰の歴史なのですね。
例にもれず、ローマ帝国内でもあらゆる闘争が生じて、瓦解への道をたどっていったのでした。
そして。
そういう今日この頃、日本では日産の内部で権力闘争がニューストップに躍り出ています。
事の本質は、庶民が興味のある「お金の問題」などではありません。
ああゆうステージにいる人の「権力の問題」、誰が統治し、誰についていくか、アイデンティティをいかに守るか、の問題なのです。
これが人間かあ。
歴史の勉強は、人間を醜さを白日の下に晒すね。
おわり。
ビジネスについて、特に「ブランドってなんだよ?」って時に読む本
久々に、ビジネスについて考えたいと思い、ビジネス書を手に取りました。
売らずに売る技術 高級ブランドに学ぶ安売りせずに売る秘密 (集英社ビジネス書)
小山田裕哉
「ビジネスについて考える」
ビジネスとは?
と考えていくと現代においては、「ビジネス = ブランド」と言っても過言ではない時代になってきています。
だからこそ、「ブランドってなんだよ?」と考えることは、ビジネスマンには大事な宿題です。商売が困難な時代、なので「売らずに売る!!?」というこの本のタイトルはつかみオッケーでなかなかイケてるんじゃないでしょうか。
「売らずに売る」という、なんだか「素でいるのにスーパーモテる」的なキャッチーなタイトルで、そんな凄テクを欲しいと思わせる。
だからセールスの一歩目、
”Qualify” は、ばっちりです。
さて、第一印象のハードルを越えると、次は中身です。
タイトルでハードル上げ過ぎると、フタヲ開けて中をよくよく見てもらった時にたいへんザンネンなコンテンツだったというのは、ビジネスシーンにおいてよくあることですが、そうなると評価はガタ落ちで、お客さんはさーっと引いていき、二度とこっちをみようとしません。
このハードルを越えるのに必要なのが、
「お前はブランドなのか?」
という本質的な問いに、商売人が答えることなのです。
これは書籍でも、ラーメンでも、ブログでも、課金サロンでも、メルマガでも、そうです。
ブランドになっていれば書籍は増刷増刷、ラーメンには行列がズラーッと並ぶし、超人気メルマガ発行者です。
だからビジネスでも男でも大事な共通点というのは、「中身だよ」ということですから、中身がギッシリ詰まっている価値の高いものだけが相手に支持される、
その中身のあるものと作っていく過程で、「ブランドを意識しながら」それを制作していけ、ということなのです。そしてそれを達成するためのマインドセットとしては、ガツンとビッグマウスをたたいといて、その期待を大幅に超える実力を提供するという
over promise - over deliver
の原則です。
まさに、タイトルで引きつけられて本を手にしたぼくが、その中身をざっと見て、「!!?」となるか、「。。。。。」となるか、どういう反応の違いが生じるかです。商売人、提供者はココに注力しないといけない。
ココをいつも達成できなければいつまでも「ブランド」としては認識されず、早かれ遅かれ廃業です。
今となっては、規模の経済を効かせるとか、いかにコストを削減して安売り合戦を制するか、というのは大昔のビジネス観です、決定的なカギは「ブランドになる」で、「売らずに売る」という、まさにそのことです、
くどいようですが、ビジネスも、男も、一緒だということですね(爆)
じゃあ肝心なその「ブランドとは何ぞや?」
ここコアのコアに明確に答えてくれた本というのは、実はそんなに多くないのが実状です。
探しても探しても、なかなか見つからない。
ブランドをグーグルさんに聞いても、ぼやっとした回答で、アマゾンさんで書籍関連でしらべても、なんか自己啓発的な経験談をブランドの創業者が書いたという本がズラーッと並んでいるだけであって、どうも役に立ちません。
「ブランドが重要」というのは本当にその通りで、
グローバルな大手ブランドから小売り企業まで、さらにはスマホとSNSの浸透により個人がインフルエンサーになる領域まで、さっきも言いましたけど「ブランドにならないと、廃業だ」ということを意味しています。
逆に言うと、ブランドになれればほぼそのビジネスは安泰で、強力な顧客がいつもそれを支持してくれます。だからブランドの意義や価値を語れるというのはまさに、中身のある商品・ビジネス成功への第一歩なのです。
と同時に、そのブランドというのは企業の規模、大企業かどうか、高価な商品かどうか、とはなんの関係もないということは肝に銘じておきたいところです。
スペックじゃないんだ、というのは男も同じですね。
「売らずに売る」本は、
ブランドとは⇒
「本物」「親切」「正直」
と答えています。
差別化してコモディティを回避する、顧客が信頼や愛着を強烈に感じるブランドはどういうものか、それはこの三大要素だ、と。
この三要素を有名ブランドがどう体現して、スマホとSNS、若者の車離れ、口コミ、ラグジュアリー市場、という時代の変化にどう作用しているのかなどなど、
「現状分析」と「未来の消費者」についてあらゆる事例を豊富に用いて示してくれてます。
その点で、うん、面白く読めました。
何度もくどいですがやっぱり、ラグジュアリーブランド市場の競争も、男の恋愛市場の競争も、原理は一緒だな。。確固としたブランド人として認知されないと、どのみち廃業です。
なんというか、ビジネスはアメリカが日本の5年先を行ってると言われてますから、だからぼくはこの手の本を読むときは外人作家が書いたものがいいんだけど、今回はなかったんですよね。
誰かいい本あったら教えてください(^Д^)
アメリカ人などは、体系的に論じるというのが文化的に身に染み付いているので、その体系骨子を中心にしてさまざまなケーススタディをブッ込んでくるので、スーッと納得させる議論が展開されているし、たとえ話もエッジが効いていて遊び心があるから、面白くて一気に読めるんですよね。
読後感も良くて、
「キンドル買ったけど、紙でも買っておこう」
となる。
まさに、売らずに売るじゃん、買わされたオレ(汗)
今回のこの小山田さんの本は、まあケーススタディをまずもってきてそこから帰納的に要素を抽出しましたという構成なので、
大原則をドンと中心に持ってきてそこからケースを手品のように論証していくスタイルが好みなぼくには、イマイチ重厚感に欠ける本ではありましたが、
それでもケーススタディを適宜復習する意味では、手元のおいておくもの悪くないなと思う本でしたあ。
おわり。
☆面白い本があればコメントで教えてください、待ってマース。 読書はエンタメ。
経済学の変遷を知るには、ちょうどよい本。
さて、今回も経済の本の紹介ですが、
なんと、前回紹介した本がまたこの記事で紹介することになりました。 ┐('д')┌
どんだけだよ
PHP出版から出た250ページぐらいの薄い本なので、さらっと読めます。
経済学の巨匠ハイエクとケインズを対比させながら、またその経済論争を簡単なモデルや比喩を使って初心者でもわかるように書いてあります。
ぼくは数学が得意じゃありませんから、経済本で数式とかグラフがたくさん出てくると、めまいがして、だんだん食欲が失せ、ゲンナリしてきてもう読む気ががくーんと下がるのですが、こういう物語り風に経済歴史を追っていく読み物はとてもサクサク読めて、一番重要な巨匠たちの理論の柱がスラスラ頭に入ってくるので、ほんとにおすすめです。
それでいて、哲学者でも思想家でも批判的で古典を乗り越えていくという時代を代表する経済学者たちの探究心や誇り高い精神の機微が描かれていて、一気に読めます。
ぼくは新自由主義者ではありませんが、左翼的な発想をする人々の、あのお花畑な発想を聞かされると、なんだかなー、、自動的に拒否反応を示します。
「そんな、君たちが思いついたことなんて、すでに先人たちが経験済みなんだよ。」
と。
だから、ぼくは現行の体制やもろもろの制度を批判しません、数々の争いやデカい戦争を経て、気骨のある人々が様々な活動を血と涙を流しながら勝ち取ってきた better な世界なんだ、と。
人権を勝ち獲ったフランス革命
資本家と労働者の対立激化からマルクス経済が成立、ロシア革命が起こる
失業者が溢れすぎた世を見ながら、熟慮に熟慮を重ねて至ったケインズ経済学
そういう血や飢えの時代を直に経験した天才たちが、膨大な論文を調べてこの世のなぞに挑んだわけで、
ルサンチマンなあなたたちに語れる言葉なんて何もないはずなんだ、と。
もちろん完全な世界にはかなり遠いわけだけど、これだけ人類の英知により少しづつと整えられてきた世界、結果が出ないならもう自分のせいだよ、と思っています。
そんなふうに、ぼくは左翼的な発想には与しません。
と同時に、左翼な人々から支持されるケインズに、偉大さも身に染みてよくわかります。(それがこの本がおすすめしたい理由)
それは、
流動性選好
です。
彼は数式やグラフをゴリゴリといじる経済学者ではありませんでした。
むしろ、人間というものへの理解がとても深く、そこから真理を探究する人でした。
「人々は何も買うものが無くても、そのままお金を手元に置いておこうとするものだ」
と彼は見抜いていました。
こんなの、庶民である、そしてデフレ日本に住む我々にとっては当然の感覚だろ、と思いますが、
これが当時の「経済学者」という普通ではない人々、合理的にモノを考える人々、数式やグラフにばかり向き合う人々の理解からスッポリ抜け落ちていたのですね。
しかしその中でも、ケインズは違いました。
しっかりと、その人間的側面を自分の「雇用・利子および貨幣の一般理論」に組み込んでいた。
……ということが、ケインズの死後、学説的に不可解なデフレ日本の事象を目の前に、世界からおおいに見直されたのでした。
人間味があるケインズ先生。
それを描いてくれていて、この本はおすすめです。
まあ筆者はリベラルを自認していますから、最後の提言の部分は?なので、
そこはすっ飛ばしてもらってかまいません。 ┐('д')┌
経済学の発展と、現状対立学説の共通項こそ、楽しく読むべき部分だと感じました。
やっぱり今のレベルに合わせて学習しないと、何も得られるものがありません。
まったく、勉強とはエンタメであるべきですよ。
お薦めの一冊です。
おわり。