新・ローマ帝国衰亡史 南川高志
歴史のお勉強をしましたので、紹介します。
ぼくはアメリカでトランプ大統領が出現して、グローバル主義から⇒保護主義へ転換したり、社会のマイノリティに気を使ったり世論を気にして秘密の部隊をつかって中東に入ったりするやり方から、アメリカファーストで言いたいことを言う、世論は気にせず強引にやり、中国との関係も気にしないぜガシガシ攻めるよ文句ある?というこの変化を見ていて、
歴史は繰り返すのだなー
と感じました。
なぜか?
それは帝国や大国に特有な栄枯盛衰のパターンを歴史は教えてくれているカラです。
「パックスアメリカーナの崩壊」
ということを前々から煽り気味に指摘する学者はいましたが(まだまだ崩壊はしないし世界ナンバーワンであることに変わりはないが、歴史を見るとどの覇権国も例外なく終焉を迎えている)、それがどういうプロセスをたどるのかを、興味深くみているところであります。
国家とは何か?
帝国とはどういう志向で動くのか?
成熟とむかえた後、どういう崩壊プロセスをたどるのか?
その現実をより正確にとらえるためには、「歴史のパターン」を知っておかなければなりません。
PaxBritannica
もいいですが、ここはまず、
Pax Romana かな、と。
ローマ帝国物語が好きな人は多くいるでしょうが、この本の「新」ローマ帝国というタイトルの「新」とは何ぞや?と。
何が、新しいのか。
ローマ帝国の崩壊の個別的要因というのはそれこそ研究者たちによってもう無数にあげられていて、いろいろな定説があるようですが、
ようは決定的な、根本的な要因はなにか?ということをぼくは知りたいのですよ。
「新」
……期待
帝国ではないですが、大国であったソ連の場合、連邦が崩壊したときに、その理由をイデオロギーの敗北とか、共産主義は働く意欲を無くす制度でダメだとか、フロイト的に解釈する意見が見られますが、それはそれで重要な点ですが、決定力に欠ける印象です。
ぼくはこの点、マルクスの上部構造ー下部構造を支持していますから、経済財政の破たんがソ連崩壊の根本的な要因と考えています。
つまり、
「広げすぎてからの、内部崩壊」
です。
ソ連は大きな連邦を組みました、それはとても大きな国土と資源を有する大国だったわけですが、その内実はというと経済が火の車だったわけです。
決定的な要因はコレ。
帝国とは、なぜか歴史上の例外なく野心を持って外へ外へ広がるものですが、問題はその後、
広げ過ぎて弱ってきたところ「内部から瓦解していく」ものなんだと。
外へ外へ、というのは一昔前のアメリカの地政学的戦略もそうで、シーパワーを広げて戦略的拠点に先手を打つやり方もそうですし、今の中国のアフリカに投資して借金付けにして土地没収だよとか、中国人を大量に入植させ数の論理で押し切ろうとウイグルやオーストラリアでやってるアレもそうで、業界ではサイレントインベージョンというなんとも物々しいネーミングがされていますが、そういう「外へ外へ」という性質をもつのが、国力があって覇権を狙う国家なんだといえます。
外へ広がった「その後」が重要なわけですから、今となっては、トランプが対外拡張をやめ、保護主義、米軍撤退、を主導しているのは歴史的から学んでいるという見方も、できるにはできます。
外へ出向くと当然中は手薄になりますし、金がかかります。
外へ出ていきたい野望と、中をどうするかのシーソーゲーム。
夢はあるんだけど、現実の生活がまず苦しいんだ、そんな売れないミュージシャンの心境です。
さて、「新」をつけて世に送り出したこの南川さんのローマ帝国衰亡史。
「ローマ帝国衰亡史」はギボンの超古典ですが、ここに「新」をつけるとはだいぶ大風呂敷を広げた感がありますが、
んじゃあいったい何が新しいのかというと、
衰亡とはなんであったか?を、「ローマ人のアイデンティティ喪失」という文脈で語っていることなんですね。
やはり精神分析的ではあるんですが、この議論が重要なのは、ローマ帝国発展において異民族を積極的に登用してそういう出自でも将軍にまでなれたり、一定の基準を満たしたならローマの市民権も与えるなど、「帝国に取り込む」手法をとっていたということです。
帝国を維持するのに外部を帝国に取り込む必要があり、そのための吸引力としてローマ帝国のアイデンティティを掲げる。
そのアイデンティティが喪失したら、当然崩壊へ向かう、というのがこの本の趣旨です。
ローマ帝国とはこの点で、今のアメリカとそっくりで、ようは人種のサラダボウルなのです。
日本のように民族的な統一ができないわけですから、別の何かでサラダボウルに一体化を加えなければ、ゲルマンに対抗できません。
それが市民権でした。
「ローマ市民」が意味するものは、文化や娯楽の先端、法や制度やインフラの完備、自由や富などで、そこからくる優越感です。
「ローマ市民になればこんないいことがあるよ」と喧伝することは、自国にも他国にも意味のあるメッセージになる。
こういう国家を形成するときとても重要になるのが、「オレはこの国の国民だ」という帰属意識です。
ローマ帝国のはるかあとに登場したイギリスやフランスは、まさにここに腐心していて、「特権を与える代わりに国家に忠誠を尽くせ」という方式で国民国家、徴兵制による国民軍の整備をして自国民の結束力を強固にしたのでした。
結局これがヨーロッパの台頭に決定づけたと言っても過言ではない。
その歴史を踏まえると、ローマ帝国がすでに「このパックスロマーナの一市民である」という優越感、アイデンティティを利用したのは本当に先見性があるといえるでしょう。
これこそがローマ帝国を強固なものにしたのでした。
だから重要なのは、「アイデンティティ」
というのが南川さんの説明です。
さてボクが感じるに、帝国の興隆 → 衰退の間に挟まっているのが、「権力闘争」です。
権力闘争というのはいつの時代にも存在するわけですが、そういう闘争が一定の臨界値を超えるとアッという間に、国でも企業でも団体でもあらゆる組織が瓦解していきます。
悲しいかな、人間の歴史というのはいつも、欲まみれの権力闘争、栄枯盛衰の歴史なのですね。
例にもれず、ローマ帝国内でもあらゆる闘争が生じて、瓦解への道をたどっていったのでした。
そして。
そういう今日この頃、日本では日産の内部で権力闘争がニューストップに躍り出ています。
事の本質は、庶民が興味のある「お金の問題」などではありません。
ああゆうステージにいる人の「権力の問題」、誰が統治し、誰についていくか、アイデンティティをいかに守るか、の問題なのです。
これが人間かあ。
歴史の勉強は、人間を醜さを白日の下に晒すね。
おわり。