ドラッカーは経営でもマネジメントでもなく、○○の人。
最近ドラッカーを読み直しました。
日本では経営とかマネジメントで一躍有名になりましたが、漫画のマネジメントが人気を博したのも、そもそも彼の執筆したマネジメントを凡人が実践するのが難しいからで、じゃあ古典の焼き直しをマンガでやろうぜというマーケティングの一環が見事ヒットしたからです。ヒットするのはいつも大衆用へカスタマイズされた本なので。
だからマンガで誰かが解説してくれてはじめて、一般の社長さんや経営者が「使える」形になるんですね。
そしてこれはドラッカーが企業経営の実務家というより、思想家だという側面も表しています。
その著書をザっと並べてみると、「社会」とか「時代」とか「未来」とか、そういう概念のキーワードが多いんですが、これは彼がたかだか会社の経営という範疇にとどまらず、社会というスケールで物事を視ていたことを示しています。
そういう社会的な思想家だったのになぜ「会社の概念」「経営者の条件」「マネジメント」 などを書いたのか。
ゼネラルモーターズの依頼を受け、研究の一環として経営を社外の立場から記したのです。
ゼネラルモーターズとしては、「うちをケーススタディとして使っていいよ、そのかわり経営方針や経営組織を研究したら報告してね、そのレポートもうちが活用するから。」
ということで。
後にこれが、意図せずフォード再建に使われました。
天才とはまさにこういうことで、自身は「ぼくは社会生態学者」と名乗り、他人からは「あいつは未来学者だ」と言われ、パパっと書いた会社経営の本は大ヒットし、マネジメントの本は後世にマンガ化され死後も読み継がれる、
頭のデキが違うとは、このことですね。
そんな彼の社会変動への洞察は鋭くて、マルクス批判の形で出てきた「知識労働者」、同時に全体主義の防波堤になるべく執筆された「断絶の時代」、そういうものが彼の人生を燦然と輝かせています。
ドラッカーが予見したその知識労働の未来は見事に的中して技術者、ビジネスマン、会計士、弁護士、などが人気の職業で金を稼げる職業だった時代を僕らは知っています。
弁護士などは、今は飽和状態でそんな知識では通用しない世の中になってきましたが、そういう知識社会の到来やソ連の崩壊をあの時に予見していたのはまさに圧巻です。
しかし現代のようにYouTuberがカネを稼げて小学生に人気職業なわけですから、「好きなことで生きていく」ってのが、まさに知識と自由を唱えたドラッカーの未来通りじゃないですか。
いまさら労使対立でも、学歴社会でもないわけですから、 働けど働けど楽にならない人や、好きなことで生きていくのに懐疑的な人はぜひ、マネジメントなんて読まず、
などの、ぶ厚い古典を読みましょう。
ドラッカーは未来予測の人です。
おわり。